ー 翻訳者からのコメント ―
『シンボル・オブ・ライフ』スティリアノス・アテシュリス著、エドコム版、2018年8月16日初版
著者ダスカロスによる真理の教えである「エソテリック・ティーチング」の原点は、この『シンボル・オブ・ライフ』にあると言っても過言ではありません。本のタイトルを直訳すれば、「生命の符号的象徴」となり、生命の仕組みを言葉と絵図により解説した内容となります。著者は本書を通じて、古代エジプト時代より伝承されてきている秘儀的教えの歴史を世界で初めて公開し、キリストやエッセネ派を経由して如何に現在まで継承されて来たかを開示しています。また同時に著者自身の手書きの絵図により、神の世界と神により創造された「存在の世界」との関係、その中における神と人間との関係を明らかにすることにより、私たち人間が現在どのような立場に置かれ、どのような路を歩まなくてはならないかを解説している稀有な「生命の書」と言えるのです。
過去の著名な哲学者により語られた人間の存在意義や生命の目的は非常に哲学的であり難解な言葉により表されてきましたが、著者は現代科学が記録的な発展を遂げているとはいえまだ幼稚園レベルであると述べ、神や世界の仕組みを分かり易い言葉で解説し、すべてのシステムを絵図により理論的に説明しております。そこには難解な哲学的思考も数学的記号も含まれていません。それは正に科学の中の科学書と言えるのではないでしょうか。著者は人生に必要な書は2冊のみだと提唱しており、その1冊が「新約聖書」であり、もう1冊はあなた自身が日々綴っている自分の「人生の書」であると述べています。私たちがたとえキリスト教徒でなくても、なぜ「新約聖書」が重要なのでしょうか、また私たち自身が自ら自身の「人生の書」を日々綴っていると認識している人が一体何人いるのでしょうか? 先ず、これらの疑問に対して真摯に考え、その答えを引き出さなくてはなりません。そうすれば、生命の意義や人生の目的も必然的に観えてくるものであり、私たちが人間として今(いま)取るべき路が拓(ひら)かれてくるものと思います。
本書を通して、生命のシンボルに関する歴史や各シンボルの意味が理解され、生命に係る全システムが理解できるように著されており、「ヘラクレスの労役の路」も解説されていますので総体を頭で理解することは可能ですが、その労役の路の実践的な歩み方は詳しく示されておらず、またそう容易ではありません。現実の人生における生命の進め方については、各自の自己意識の段階により異なってくるものであり、理論と実践を車の両輪として前進させていくことが求められています。『エソテリック・ティーチングやプラクティス』および『シンボル・オブ・ライフ』をベースとして、サークル勉強会においてより個別的且つ上級の教えを理解・実践することにより、さらに高い次元に自身を投影していくことが求められています。エクササイズや瞑想を通じて、自己意識をより高いレベルへ羽ばたかせていかねばなりません。このように、本書は真摯な真理の探究者に向けられた「生命の書」であり、各自の現実生活において自己意識を高めるために、如何に労役と対峙し乗り越えていくことが使命、すなわち人間の意識進化の成長となるもので、その翼(つばさ)となる一冊と言えます。
著者ダスカロスによる真理の教えである「エソテリック・ティーチング」の原点は、この『シンボル・オブ・ライフ』にあると言っても過言ではありません。本のタイトルを直訳すれば、「生命の符号的象徴」となり、生命の仕組みを言葉と絵図により解説した内容となります。著者は本書を通じて、古代エジプト時代より伝承されてきている秘儀的教えの歴史を世界で初めて公開し、キリストやエッセネ派を経由して如何に現在まで継承されて来たかを開示しています。また同時に著者自身の手書きの絵図により、神の世界と神により創造された「存在の世界」との関係、その中における神と人間との関係を明らかにすることにより、私たち人間が現在どのような立場に置かれ、どのような路を歩まなくてはならないかを解説している稀有な「生命の書」と言えるのです。
過去の著名な哲学者により語られた人間の存在意義や生命の目的は非常に哲学的であり難解な言葉により表されてきましたが、著者は現代科学が記録的な発展を遂げているとはいえまだ幼稚園レベルであると述べ、神や世界の仕組みを分かり易い言葉で解説し、すべてのシステムを絵図により理論的に説明しております。そこには難解な哲学的思考も数学的記号も含まれていません。それは正に科学の中の科学書と言えるのではないでしょうか。著者は人生に必要な書は2冊のみだと提唱しており、その1冊が「新約聖書」であり、もう1冊はあなた自身が日々綴っている自分の「人生の書」であると述べています。私たちがたとえキリスト教徒でなくても、なぜ「新約聖書」が重要なのでしょうか、また私たち自身が自ら自身の「人生の書」を日々綴っていると認識している人が一体何人いるのでしょうか? 先ず、これらの疑問に対して真摯に考え、その答えを引き出さなくてはなりません。そうすれば、生命の意義や人生の目的も必然的に観えてくるものであり、私たちが人間として今(いま)取るべき路が拓(ひら)かれてくるものと思います。
本書を通して、生命のシンボルに関する歴史や各シンボルの意味が理解され、生命に係る全システムが理解できるように著されており、「ヘラクレスの労役の路」も解説されていますので総体を頭で理解することは可能ですが、その労役の路の実践的な歩み方は詳しく示されておらず、またそう容易ではありません。現実の人生における生命の進め方については、各自の自己意識の段階により異なってくるものであり、理論と実践を車の両輪として前進させていくことが求められています。『エソテリック・ティーチングやプラクティス』および『シンボル・オブ・ライフ』をベースとして、サークル勉強会においてより個別的且つ上級の教えを理解・実践することにより、さらに高い次元に自身を投影していくことが求められています。エクササイズや瞑想を通じて、自己意識をより高いレベルへ羽ばたかせていかねばなりません。このように、本書は真摯な真理の探究者に向けられた「生命の書」であり、各自の現実生活において自己意識を高めるために、如何に労役と対峙し乗り越えていくことが使命、すなわち人間の意識進化の成長となるもので、その翼(つばさ)となる一冊と言えます。
新訳版[キリストのたとえ話]スティリアノス・アテシュリス著、 エドコム版 2017年6月初版
本書は著者が新約聖書から選出した42(聖句としては39)のキリストのたとえ話や物語に対して、それらの真の意味を註解したものです。ダスカロスによる「真理の書」の中では、導入書的な位置付けの書であり、キリスト教徒のみならず、他の多くの信仰者に向けられた一冊です。二千年前にキリストが説いた教えに関心のある方には是非お読み頂きたいものです。キリストの時代、写本は希少な存在であり、一般大衆の識字率は極めて低くかったこともあり、キリストは人々に教えを説くさい多くの場合「たとえ話」を用いて話しました。
新約聖書の成立時期は60~90年ごろと言われています。ローマ帝国のミラノ勅令よりキリスト教が承認されたのが313年と言われており、二ケア公会議が325年に初めて執り行われた時代経過を考慮すれば、キリストの磔刑から300年ほど経過しており、その間のキリスト信仰者に対する弾圧や迫害は激しく、新約聖書自体が辿った変遷や被った被害は想像を超えるものであったと考えられます。著者は、新約聖書の文面には辻褄のあわない箇所や意図的に削除された箇所が少なからずあると指摘しています。それを考慮しても、新約聖書は神から直接に生まれたキリストによる真理の宝庫であると述べています。
著者は私たちの人生で必要な書は2冊のみであると述べています。その1冊は「新約聖書」であり、もう1冊は私たちが日々書き入れているひとり一人の「人生の書」であると述べています。しかし、「キリストのたとえ話」をただ読んでも真にキリストが意味したことを理解することは難しいものです。キリストの真の意味を理解できれば、私たちは人生で路頭に迷うことも、自ら苦しみを味あうこともなくなると述べています。それは私たちが生きる上で逃れることのできなく、かつ不滅の「法則や原理」(成長、運命、原因と結果など)を知り受け入れることであり、生命である私たち自身を知ることになるのです。著者によるたとえ話の註解を通して、私たちは各聖句が届けてくれる「真理」に触れることによって、私たちにある理性にスイッチが入り無駄なエネルギーの浪費を避けることもできるのではないでしょうか。
人は置かれている政治体制や武力、経済力や教育格差、或いは宗教宗派の違いにより大きな影響を受けやすいものです。キリストの生きた時代もまさに武力と宗教の階級社会で激変の時代でした。しかし、キリストは「物質界には格差が生じるが、それらに心や精神を囚われてはいけない。なぜなら、その囚われが人間の間に悪意や憎しみを生む原因になるからである」と既に述べています。 あらゆる権力闘争の下で、私たちが如何に生きるべきかを指し示してくれているのではないでしょうか。 クリスチャン神秘主義者である著者は、地中海の島国キプロスに生を受けましたが、1974年におきたクーデターに乗じてトルコ軍が北キプロスに進軍し占領した際に従軍し交戦した経験もあります。その時の著者自身の身の処し方も、私たちに貴重な示唆を与えてくれるものです。政治権力などにより国家や社会がたとえ疲弊しても、天地創造による自然界は柔軟な対応力と復元力を有し、あたかも何も気にしていないかのようです。なぜなら、それらは不変的な法則に従って存在しているからなのです。著者の言う「法則」は、「平和の法則」と呼んでも良いのではないでしょうか。キリストが「実に美しい町だ!」と表現した「エルサレム」も、権力者の欲望や悪意が増幅しなければ、エルサレム神殿の崩壊もなく名前の通り「平和の町」であったことでしょう。
このように、私たちの置かれた環境がたとえ激変しても、「真理」は変わることなく永遠であり普遍的であり、誰にでも平等に作用します。著者による各聖句への註解文は、キリストが人間に伝えようとした霊的な意味、すなわち「真理」への狭き路に私たちを導いてくれるともし灯のように感じられます。読者の皆様が、一つひとつの聖句に表された「真理」を汲み取っていただき心の中に定着されれば、理性を通して何かが自然に働き始めるものだと信じております。著者の生涯の願いは、私たちが正しく生きれるように、生命への「気づき」を与えることだったのです。本書を読んで最も貴重な真珠を手に入れられることを願っています。
[ジョシュア・イマヌエル、キリスト - 地上での生涯とその教え]スティリアノス・アテシュリス著、
エドコム版、2017年2月初版
ダスカロスは、日本では1999年頃までほとんど知られていませんでした。欧米では「20世紀の最も偉大な霊性の父」或いは「偉大なヒーラー」として名が知られており、イギリスの著名なヒーラー、ハリー・エドワードがダスカロスの元を訪れたり、米国NASAの科学者からヒーラーに転身したバーバラ・ブレナン博士も教えを被るために訪れたと言われています。1985年米国メリーランド大学の社会学部のマルキデス教授が著した「ストロボロスの賢者(マギー)」(The Magus of Strovolos/翻訳版タイトル:メッセンジャー)が欧米でベストセラーになってからは、さらに有名になり癒しを求める人々が世界の各地から押し寄せたと言われています。
そのダスカロスはもちろんヒーラーとして超一級でしたが、特異なことは自身のすべての過去性を記憶していた点でしょう。そして、キリスト時代にエッセネ派の会堂で一番若い修練士としてキリストに仕えていたのでした。すなわち、キリストの教えと地上での生活の目撃者であり時空を超えた証人と言えるのではないでしょうか。キリストに関する書物はたくさんありますが、それらのいずれとも一線を画するもので貴重な一冊であります。著者はキリストの真実を伝える宿命を負い、最晩年にその原稿を書き上げ、娘のアテシュリ女史と編集者に出版を託したのです。そして、2001年に英語版が出版されました。私はサークルの一員として2002年にキプロスを訪れ、ダスカロスのストア(サークルや礼拝のための建物)を訪れアテシュリ女史のセミナーを受けた折に、その一冊を分けて頂きアテシュリ女史からサインを頂きました。その時から14年も経過し、その思いで深い書から翻訳を行なう機会を今般与えられました。
本書は紀元前後のパレスチナの状況とキリストの誕生、聖家族の聖役と旅、キリストの大衆への教え、使徒たちへの指導、ユダヤ教とサンヘドリンの活動、エッセネ派との関係、キリストの受難と磔刑、弟子たちの活動、そして復活後の弟子たちへの指導と教えと来るべきヴィジョンを明らかにしています。本書を読むとその時代にキリストと共に旅をし、その霊的な教えや奇跡を目にしたかのような感覚におちいるのではないでしょうか。本書は歴史書でも宗教書でもありません。著者は科学を超えた科学書であり、「真理の書」であると言及しています。キリストはよく「耳のある者は聞きなさい」と言われましたが、この本を読む人も心の目や心の耳を働かせなくてはならないと思います。著者自身も「この本は小説のように読まれるべきではありません。すなわち、内省と瞑想が求められているのです」と述べています。
著者はキリストであるジョシュア・イマヌエルの地上での生き方と教えを通して、私たちに「真理」と「生命」を説き、いつの時代においても私たち人間が歩むべき「道」を指し示してくれています。そして、私たちがたとえ今どのような道を歩んでいようとも、決して手遅れはなく、ジョシュアはいつでも私たちに救いの手を差し伸べていらっしゃると助言しています。私たちの心ひとつで慈悲の手につながることができると述べているのです。私は著者の願いが、本書により読者皆様の心の中に「気づき」という灯火がともり、意識進化の狭き道を見いだされ、いずれ炎と聖霊による洗礼を受けられることを願っております。平和がいつも皆様と共にありますように。